親の死に目に合えない親不孝者①

今週の土曜は母の命日です。
母は元々持病が沢山ありました。リウマチだったり
更年期もずっと患っていたり。
お母さんが子供の頃おばあちゃんは
この子は体が弱いから育たないかもしれないって
思っていたそうです。


それなのに私と姉を育てるため沢山苦労しました。
お父さんと言われる人は私がお腹にいて生れた事も知らなかったそうです。
その時父という人は夜の商売を自分でしていて
お店の女の人と逃亡していたらしいです。
私の中で一番古い記憶は
どこかのお店でお母さんに連れられて
何かを飲んで母が来るのを待っていたって思い出です。
あとで母に聞いたら
「父が見つかって上野動物園の近くの喫茶店で
話し合いのため行ったんだよ」
「さすがに子供を連れて修羅場には行けないからお前たちを
一緒に行ったおばさんに頼んで話し合いしてきたんだよ。」


私がいくつの時なのかわからないですが。。


無事離婚出来た母は私たちを孤児院にいれ
自分はろくにご飯を食べず私たちに差し入れをしながら
生活していたそうです。
おじいちゃんも体が弱く入退院を繰り返していたけど
私たちを預かってくれる事になって
田舎で私たちは暮らしました。


なんとか生活の基盤が出来て
迎えにきてくれ一緒に住めるようになってとても幸せな年月でした。


ゆうちゃんと結婚してから私は、昼間の仕事をするようなりました。
実家が会社のすぐ近くだったので毎日お昼は実家で過ごしてました。


今から5年くらい前からお母さんは風邪をひいていないのに
声がかれたりするようになりました。
どうしたんだろうね・・
そして少し動いただけで息切れ。


不安に思った母はリウマチの受診の時
医師に咳も止まらないし、息切れがすると話ました。
うちの娘が生まれた大きな病院に。
すると医師はここは整形だから咳が気になるなら近くの病院に
行ったらどうですか
と答えたそうです。


そして近くの病院に行きました。その頃
私の家で母は泊まってました。孫、娘が大好きな母で
私はいつか母と暮らしたいといつもゆうちゃんに言ってました。
けどゆうちゃんは自分の親優先で
ゆうちゃんが生きてる間母は遊びにはきてましたが
泊まることはありませんでした。ゆうちゃんと母は年齢的にも11才しか
かわらず
義理の父とは7つしか離れていないから
嫌だったそうです。


ゆうちゃんがいなくなってしまって
母が家に帰らず孫との時間を楽しんでました。
私の祖母も娘、ひ孫が大事な人で
半分孫の取り合いのような感じでいたからです。


でも母は祖母に遠慮をしてあまり孫と遊んだりが
出来ませんでした。祖母が前の年に多分大腸がんで
いなくなり
やっと娘、孫と一緒にお風呂に入ったり
ご飯を一緒に作ったり
そんな時間を過ごしていた矢先…
全てを破壊された心境でした。。。
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