退院そして入院

母と今となっては最後のクリスマスを実家でやりました。
今まで殆ど食欲のなかった母がケーキを少しだけ食べて
みんなで過ごしました。
その次の年
新年のあいさつにいったら
母が
ポチ袋に入れてお金をくれました。
いらないよって言ったのに
母は「もうお母さん何もしてあげれないから」
そう言って…


そのお金と袋は今でも大切にお財布に入れてあります。
母の匂いはもうついてないけど
母が生きた証として。その袋に母の文字もあります。


1月10日
母から腰が痛いって連絡がありました。急いで病院に電話をしたら
来てくださいとの事。
母を車に乗せるだけで痛がってしまいます。
おかしい‥‥なんだろう?圧迫骨折???


病院について私たちは待合室で待機してました。
診察室の中から叫び声が聞こえます。
レントゲンを撮ったら
やはり圧迫骨折でした。腰の骨の。
なんでだろう。殆ど寝てるのにまさか?????


そのまま母は入院しました。実家に帰って15日目の事でした。
母が病室に入った時医師に呼ばれ私と義父と行きました。


骨の転移。転移性の脳腫瘍。肝臓に転移。
もうどこに飛んでいるのかわからない…
つい二週間前まで転移がなかったのに。。


医師は今まで抗がん剤で抑えていたけれど耐久性ができ
顔つきが(がんの)狂暴になってしまったんだろう…


それまではゆっくりでも編み物をしていた母が寝ている事が
多くなりました。
母の性格を考えて医師との話、転移の話はしない事に決めました。
どうだった?と、聞かれたので寝すぎて腰の骨が折れたみたいだけど
他は大丈夫だって^^


母についた最後のウソでした。


その時医師からはこれから段々寝ている時間が増えるでしょうと
言われていた通り
母はすぐ眠ってしまいます。


起きていても大好きなテレビを携帯で見ながらまた寝てしまいます。
たまに起きていて
何も食べなくなった母に好きな物を買って持って行っても
食欲がないって…
後にわかった事ですが義父に夕飯に食べなって渡していたそうです。


母が亡くなる前の日
日曜日でした。いつもなら日曜夜には病院にはいかないのですが
日中帰ってからなんとなく心配になってまた行きました。


母が「なんか起きれなくなった」「体が動かせない」


そう言ってきたのでびっくりして看護婦さんに聞きにいったら
「血中酸素が少ないせいかも。」


「鼻から酸素送っても回復しない」「今医師に確認してるのでお待ちください」




医師の連絡を待っていたのですが消灯の時間になり
母に「心配いらないよ。今先生が来てくれるって。時間だから帰ってくださいって
言われたから帰るね?また朝来るね」


医師から月曜の朝説明があると言われていたのでそう伝えて帰りました。




母がいつもの部屋にいません。聞いたら個室に移動したと言われました。
そしてこれからモルヒネを始めます。
看護婦さんに言われその後医師から
同じような説明を受けました。
部屋に入ると母が
「お母さんは大丈夫だから仕事にいきなさい」笑顔でした。


また仕事終わってから来るね。


そい言って11時くらいに病院をあとにしました。
1時頃娘から電話が来ました。
おばあちゃんが‥‥ママ…


娘はゆうちゃんの時、ひいおばあちゃんの時亡くなる前の呼吸の仕方を
みていました。なので危ないってわかったんだって
後から言ってました。


慌てて病院に向かったのですが片道30分…
間に合いませんでした。
行ったらもう母は…冷たくなっていて姉がいて義父がいておじさんがいて
部屋の跡片付けをしてました。


私は親不孝者です。お母さんを看取る事が出来ませんでした。
たまたま高校が早く終わった娘。最期に会えた。。
おばあちゃんわかった?そばにいるのを。
娘はわかったよって。うちの方見たもん。話せなかったけど目があったよ。


同室で先に退院した方で
母とメールをずっとしていて仲良くしてくださった方が


います。最近メール来ないから丁度心配して病院にきてくださったそうです。
体の動かない母は意識朦朧としながら
上半身を起こしてその人と抱き合って
「返事返せなくてごめんね」そう謝って泣いたそうです。
それで力つ尽きてそのまま娘に見守られながら天国に行きました。
その方も3か月後母と同じ天国に行かれました…


モルヒネは結局入れてないそうです。
いれる前だったそうです。


一生私は後悔すると思います。大好きだった母です。
母と一緒に暮らしたのは人生の半分もありません。。
あの時母に言われてもそばを離れなければよかった。
医師は私が到着するのを待っていてくれたらしいです。
苦しかっただろうな…お母さんごめんね。
お母さんに今会いたくてしょうがありません。。。