倒れた後の事。

いつまでも目覚めないゆうちゃん。
その間本当に色々な方がお見舞いに来てくれました。
登山の仲間。幼馴染。親戚。ゴルフの仲間。
元々色々な人に可愛がってもらっていたうえに
趣味が多くて
実際私は名前しか知らなかった人も。


登山の人で元々私の会社の取引先のご夫婦。
いつの間にか仲良くなって山にいったり
飲み会に誘われたりって夫婦。奥さんが


ゆうちゃんの夢を倒れたって聞く前に見たんだよって
教えてくれました。


きっとゆうちゃんが知らせたのかな?


意識不明の理由は出血のせいで脳が腫れていたから。
顔も手術をしたのでむくんでました。
2週間くらいして目が覚めました。でも脳内出血で
左がやられてしまったので
医者から
運動機能、失語症、それと理性をつかさどる部分がダメになったので
人格が荒くなる可能性があります。
言われました。
ゆうちゃんは倒れる前怒りっぽくなっていて
これ以上???短気になるの?不安でした。


その頃、段々意識がはっきりしてきたゆうちゃんは治療と共にリハビリを
始めました。バーにつかまって
おっかないって言いながら(態度で)
頑張って少しだけ歩けました。一週間寝てるだけで相当筋肉が落ちます。
それが一か月近く寝たままだったので足は棒のようでした
それと
右利きだったのに右半身麻痺になったせいで右ではご飯も文字も書けなくなりました。


リハビリの方がある日
ゆうちゃんが自発的に書いたんだよって
紙を持ってきてくれました。
その紙には娘の名前が書いてありました。
震えるような字体で、一生懸命書いたらしいです。


それまでゆうちゃんは娘を「坊主」と
呼んでました。
まだ幼い子供はみんな坊主なんだそうです(笑)
娘は生まれて初めてパパに名前を書いてもらったと
喜んで今でも大事に額に入れて飾ってあります。


何度か医師に呼ばれました。
治療方針。脳腫瘍で出来た血管は弱いからまた脳内出血を
起こす可能性がある事。
他にがんは見つからなかった事。
浸潤してるから手術ではがん細胞を取り除く
事は出来ない。
最終的にお家で介護を目指すけれども
根本・・望みはないでしょうと。


それから3か月くらいその病院にいました。
その病院から市内のがんセンターに転院しました。
脳腫瘍を専門にみてる先生でした。
前の病院で言われた事等聞かれて
入院初日に痛い検査をして
本格的に治療になる
そう思っていたけど治療は出来ませんでした。
やはり大きさ、浸潤。脳内出血を起こして血液がかぶった
脳は再生しない。。


絶望的な事ばかりでした。
ただ髄膜にはがん細胞がなかったので
今のところがんは頭の中だけですって。


先生から一言脳腫瘍といっても
何パターンもあると聞きました。
確かに同じ病室の人達を見ても
ゆうちゃんのように話せない人もいれば
赤ちゃんのようになってる人もいたし
色々でした。
私も色々ネットで脳腫瘍を調べました。
そして遠いとこに脳腫瘍の名医がいると知ってお手紙を書きました。
今の状況を。少しして返事がきました。
「終末医療だからお住まいの近くで見てもらってください。」
その手紙を見て病室で崩れ落ちてしまいました。


もうひとつ
娘が生まれた大病院にも相談しました。
「もう他で手をつけてるから当院ではみれません」


今自分が出来ること。それはゆうちゃんと娘と
3人で幸せに笑顔で日々過ごす事。
後悔のないように・・・。


誰かゆうちゃんを治してください。。
祈りは届きませんでした。